情報掲示板
お知らせ
掲示板に不審な書き込みがありましたので、しばらく運用を停止させていただきます。
イベント等のお知らせについてはメールにてお待ちしています。
[47] 「三内丸山縄文シンポジウム2000」のお知らせ 投稿者:管理人投稿日:2000/11/2(Thu) 18:25増木智江さんからシンポジウムの情報をいただきましたので紹介します。
「三内丸山遺跡・縄文シンポジウム2000」
日時: 平成12年11月19日(日曜日) 10時30分〜16時00分
会場: 東京 有楽町朝日ホール
主催: 青森県・青森県教育委員会
テーマ:「縄文遺跡大集合パート2 −遺跡が語る縄文生活− 」
最近、話題となった遺跡の最新の成果報告とそれらから見えてくる縄文社会につて考える。
第1部 調査報告
「三内丸山遺跡最新情報の報告−発掘調査から−」秦光次郎(青森県教育庁文化課)
第2部 話題提供−事例報告−
「カリンバ3遺跡」 上屋真一(恵庭市教育委員会)
「是川遺跡」 宇部則保(八戸市教育委員会)
「青田遺跡」 荒川隆史(新潟県埋蔵文化財調査事業団)
「中ツ原遺跡」 守矢昌文(茅野市教育委員会)
第3部 パネルディスカッション「遺跡が語る縄文社会」
岡村道雄(文化庁)・小山修三(国立民族学博物館)・岡田康博(青森県教育庁文化課)
入場料: 無料(先着順)
入場申し込み方法: FAXまたは往復ハガキにて
〒030−8540 青森市新町2丁目3の1
青森県教育庁文化課 三内丸山遺跡対策室シンポジウム係
TEL 017−722−1111(内線5252)・017−734−9924(直通)
FAX 017−734−8280
[46] シンポジウム『画像資料の考古学』お知らせ 投稿者:山内利秋 投稿日:2000/09/16(Sat) 18:49古写真など画像資料をどう活用し、保存していくかをテーマに
シンポジウムを開催します。ふるってご参加ください。
シンポジウム『画像資料の考古学』
日程
2000年12月9日(土曜日)
開会・挨拶(13:00〜13:10)
1:基調講演(13:10〜14:10)
写真の中の日本 木下直之氏(東京大学大学院文化資源学研究科)
2:ケーススタディー(14:10〜16:20,途中休憩)
東北考古学と柴田常恵 熊谷常正氏(盛岡大学文学部)
古写真に探る熊本城と城下町 富田紘一氏(熊本市教育委員会)
大場磐雄のグラフィズム 山内利秋氏(國學院大學日本文化研究所)
画像資料の保存 青木繁夫氏(東京国立文化財研究所修復技術部)
3:パネルディスカッション(16:40〜17:40)
司 会:岡塚章子氏(東京都写真美術館学芸部)
参加者:青木繁夫氏,木下直之氏,熊谷常正氏,富田紘一氏,丸山士郎氏(東京国立博物館資料部),山内利秋氏(50音順)
閉会
会場 國學院大學100周年記念館3FAV教室
※尚,12:00より同会場にてブース展示を実施します。
主催:國學院大學学術フロンティア事業実行委員会、共催:東京都写真美術館、後援:文化庁(予定)、協賛:(株)日立エンジニアリング,(株)ICC,(株)堀内カラー
参加申し込み
氏名,連絡先住所と電話番号(Fax,E-mailも可),レセプション参加有無(参加費3,000円程度)をハガキかFax・E-mailに明記して、下記事務局まで御送り下さい。
國學院大學学術フロンティア事業実行委員会
〒150-8440 東京都渋谷区東4−10−28
國學院大學日本文化研究所第5研究室(担当:山内・粕谷)
Tel:03-5466-0356, Fax:03-5466-9237
E-mail:yamatosh@olive.ocn.ne.jp
同時開催
東京都写真美術館
『文化財保護法50年記念 写された国宝−日本における文化財写真の系譜−』(2000年11月21日〜2001年1月28日)
・2000年12月10日(日)記念講演:佐藤道信氏(東京芸術大学美術学部)『日本美術と文化財の誕生』
[45] 火焔土器の町から 投稿者:koba 投稿日:2000/08/05(Sat) 21:13みなさん始めまして、新潟県の津南町からの投稿です。
津南町のお隣は中里村、そのお隣は十日町市です。
いずれも火焔土器で有名なところです。
私のページにも津南、中里の土器を紹介しているコーナーが
ありますので覗いて見てください。
今、津南町では縄文博物館を計画しているところではありますが
まだ具体的なところまで進んでいません。
皆様のご意見を聞かせください。
「津南まるごと博物館」http://www.asahi-net.or.jp/~eg7k-kbys/
[44] おめでとうございます 投稿者:光坊 投稿日:2000/07/13(Thu) 23:43おめでとうございます。1万アクセス。
メールでの件、トップページの写真が表示される前にリンクを押すと、先に進めないようでした。最近、ブラウザーを変えましたので、そうした現象が起きたようです。
お手数を取らせました。ありがとうございました。http://www2.inforyoma.or.jp/~mitsubo/
[43] Re[42]: 初めまして 投稿者:管理人 投稿日:2000/07/11(Tue) 23:13Q庁さんこんにちは。
岩手の興味深い遺跡を紹介されていますね。
多くの遺跡情報を載せていただきたいと思いますが、
なかなか大変ですよね。
がんばってください。
こちらからもリンクさせていただきました。
[42] 初めまして 投稿者:Q 庁 投稿日:2000/07/08(Sat) 11:06初めまして。
地元で発掘を追いかけています。
何気ないつもりで始めた遺跡の情報に懲り初めてしまいました。
いろいろ勉強しなければならない事ばかりです。
宜しくおつきあい下さい。
リンク貼らせて頂きます。
http://www.rnac.ne.jp/~tea_time/
[41] 縄紋神社・噴火湾まつり・斎藤氏 投稿者:管理人 投稿日:2000/07/07(Fri) 23:06天野さん ともさん 楽しい人さん
テストやら何やらを控えているものでじっくり時間が取れませんでした。
縄紋神社拝見しました。考え方としては面白いと思います。
ただ、書き込まれたURLはwwwが英字ではないようですね。下記のように直せばいけるはずです。
http://www.top.or.jp/~jyoumon1/
「だて噴火湾縄文まつり」も楽しそうな企画です。
確か前回はホームページがあったような気がしますが・・・。
http://member.nifty.ne.jp/jomon-fes/
斎藤忠光さんを紹介しているページも拝見しました。
http://www.idaki.co.jp/
おそらく、いずれも考古学者からはあまり重要視されないのでしょう。
しかし、縄文の遺産は考古学者だけのものではないと思います。
それぞれの人の捉え方・感性で楽しんでいただくのが一番いいことだと思います。
私自身は考古学的な研究を通して、現在の私たちの文化を明らかにしたいと考えています。
[40] HP出来ました。 投稿者:楽しい人 投稿日:2000/07/07(Fri) 17:32たびたびどうもすいません。縄文神社のHPが出来ました。
縄文神社を造ることを目的としたものです。それなりに
楽しく読めると思います。URLは以下のとうりです。
http://www.top.or.jp/~jyoumon1/
[39] HPはまだです。 投稿者:楽しい人 投稿日:2000/07/05(Wed) 20:41今作ってるところで、まだありません。縄文神社HPの目的は
神社を造ることで、学問的とは限りません。どちらかと言えば
一つの仮説のようなものです。私は先史時代の信仰とその遺構
を縄文神道、ならびに縄文神社と呼ぶようにしています。更に
その流れをくむと思われる神社も縄文神社と呼んでいます。しかし
この世に縄文神社という名の神社はありません。ならば造ろうというのが私の考えです。趣味的と言われればそれまでですが・・・。
[38] 「だて噴火湾縄文まつり」のお知らせ 投稿者:とも 投稿日:2000/07/04(Tue) 20:08はじめまして!私は北海道伊達市で仕事をしているものです。
実は、ここ北海道伊達市では2年前より「だて噴火湾縄文まつり」を開催しています。
突然の宣伝、お許し下さい。今は、この祭りを定着させる事に必死なのです。
毎年、テーマを決めてやっていますが、今年のテーマは『住』。
9月9日には、記念シンポジウムを、9月10日には国指定史跡北黄金貝塚での野外イベントを行います!
そこで、現在われわれまつり実行委員会では『縄文住居デザイン画』を募集しています。
これは、実際の住居を復元しようというよりは、自由な発想で楽しもうというものです。まつり当日に、会場に集まった人で審査をし、グランプリには賞金が一万円でる予定です。
絵が好きな方、縄文時代の事に興味のあるかた、どんどん奮ってご参加ください!!!
興味のある方、ぜひ電話にて連絡を下さい。
縄文まつり事務局(伊達市教育委員会文化財課 0142-22-1603)私へのメールでもかまいません!待ってます。
それでは、長々とすみませんでした。
このページにもまた遊びにこさせて下さいね。
[37] Re[34]: 遮光器土偶、パチパチ 投稿者:天野章子 投稿日:2000/07/04(Tue) 17:04しばらくぶりでアクセスで、お返事おそくなってすみません。
遮光器土偶に感じの似た人、というのは面白いですね。
会ってみたいなあ。
ところで斎藤忠光氏の「内臓感覚」の音ですが、メロディー上の特徴ではありません。音の質そのものです。
斎藤氏の奏でる音と、聞いている人の体の中が反応しあうのす。
<整数倍の超高周波音を同時に出す手法>というのは私はよく知
らなくて済みませんが、モンゴルの国立音学院で、数年前斎藤氏が演奏をされているし、そのあと、日本でもモンゴルの民俗音楽の方たちと即興合奏(共演ていうのかな)をしていますから、非常に親しい感じがあると思います。
モンゴルの民俗楽器に対して、斎藤氏はパイプオルガンで即興共演して、すごかったです。その前には、アメリカのバイオリンの
アーチストと、和太鼓で即興共演したのには、もうみんな目を丸くしてしまいましたよ。
理屈ではうまく表現できないけれど、生命が喜ぶ音なんです。
それも、今までの既成音楽の枠にまったくはまらない、無限の感じ。
縄文も、無限で、自由な感覚があったんでしょうね。
ではでは。今日はこれにて。
[36] Re[35]: 縄文神社 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/07/04(Tue) 00:39縄文神社のHPにいけるように、URLがリンクしてあればありがたいのですが、興味があるので、検索したのですが、見つかりませんでした。
小輩は、奈良県桜井市の三輪山が先史時代の信仰の1形態と考えています。縄文時代に奈良盆地は湖だったようです。山辺の道より標高の高いところに縄文時代の遺跡があります。さらに標高の高い三輪山山麓には、磐と呼ばれる列石信仰遺跡(?)があります。アミニズムの代表例と紹介されていますが、遺跡が公表されているわけではないので、知りたいのに判りません。
縄文時代の信仰を貴殿のHPで体系付けることを期待します。
[35] 縄文神社 投稿者:楽しい人 投稿日:2000/07/03(Mon) 23:18縄文神社の者です。縄文神社という言葉を皆さんに広く使ってほしくてお便りします。例えば大山あぶり神社は縄文神社である可能性が強いとかー、いかがなものでしょうか。ホームページを今作ってます。見かけたらお立ち寄りください。
[34] 遮光器土偶、パチパチ 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/06/17(Sat) 07:58すみません、当BBSの管理者に天野氏が質問されていますが、つい、天野氏に質問をしてしまいます。
小輩は、土偶を述べることは好まないのですが、この頃、宮城県恵比寿田遺跡出土の遮光器土偶に感じの似た人を貝塚でよく見ます。土曜日は遅く出勤して、研究所で文献を読んでいるので、ちょうど、その人が登校する時間と同じになるようです。カメレオンみたいな目を、北米原住民が使用している遮光帯をかたどったものだとして、「遮光器土偶」と呼ばれていますが、遮光帯なしでも似ている人がいたのではないか と思ってしまう今日この頃です。(眼鏡はかけていません)
「内臓の感覚を音にしていく」とありますが、体全体で聴く音楽に可聴領域以下の低周波音を意識的に使用している音楽があります。また、整数倍の超高周波音を同時に出す手法を用いる音楽があります。(この頃モンゴル人がこの手法で歌う例をTVのコマーシャルで使っている例があります。シベリアでも同様な音楽があるとのことです。)。このような音楽ですか。それとも、メロディー上の特徴だけですか?
[33] はじめまして 投稿者:天野章子 投稿日:2000/06/12(Mon) 16:25はじめまして
縄文の検索から、貴方のページにたどりつきました。
自己紹介のところで縄文とか、考古学のに対する純粋な気持ちが伝わってきて、いい人だなと感じました。私は大学時代、民俗学の宮本常一先生の講義を聞いて、以来民俗学大好きです。なんか、体で感じる歴史世界があって、それを大切にしています。
ところで、青森県亀が丘の遮光土器が出た、木造町で生まれ育った斎藤忠光という即興演奏家をご存じですか。縄文の感性だけれど、縄文を突き抜けていて、宇宙まで突き抜けていくすごさをもっています。海外では歴史的演奏と絶賛されていますが、日本では知らない方も多いようなので、ちょっと聞いてみました。もしご存じなかったら、僭越ながら私がちょっとだけご紹介をさせていただきます。(すでにご存じでしたらごめんなさい)
すべて即興で演奏する人で、内臓の感覚を音にしていく人です。それも会場ににいらした方の体の中を感じ取れる感性の方で、いらした方の体の内側を即興で演奏していく人です。なので、聞いていると自分自身が見えてくる音です。
よく最近「むかつく」とかいう言葉を聞きますが、あれも内臓的な言葉ですね。人は内臓にいろんな感情とか気持ちとかため込んでしまうのですが、近代文明をつくってきた頭脳というのは物質を動かしていく頭なので、かなりこの内臓感覚が無視されています。内臓は、地球の歴史、宇宙のリズムと呼応しています。(このあたりは、人類の古い記録を読むとかいてありますが)この内臓感覚を音にする斎藤忠光さんの音は、人類の歴史や生命の歴史を自分の体の中で感じ、いろいろなことがわかってきたりするので、本当に面白いです。
ご興味ありましたら、ご連絡下されば、斎藤忠光氏が撮影した写真や挨拶文がのっているコンサートチラシを郵送します。なんか、斎藤さんの宣伝みたいになってすみません。
私は古代の日本の深くて美しい感性を取り戻しながら、今の社会で生きていきたいと思っています。中村さんは、どのような気持ちで、縄文や考古学にひかれていらっしゃるのですか。
よかったら教えてください。
ではこれにて。
天野章子
tel,fax/ 0424-65-9318
ayanosun@jade.dti.ne.jp
[32] ”伊勢原市” 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/06/10(Sat) 05:31 ”痩せたい縄文人”氏の投稿を見て、貴HPの伊勢原市関連リンクを見させていただきました。伊勢原市の市作成公式HPしか見れませんでしたが(民間人作成HPはaddressが変わったか廃棄されたようです)、なぜ伊勢の人間が相模に来たかに?マークが付きます。伊勢参りは当時メジャーであり、大山参りはマイナーという印象を持っています(成田山は”参り”ブームに便乗し、元禄時代にコマーシャル活動を行い、集客しました。奥羽三山信仰は現在でも千葉市に存在し、三山参りが行なわれています。)。あっ、判りました。”お参り”関連事業を行なっていた伊勢の商人が、大山で関連商売を行なうために、相模に移住したのでしょうか?
縄文時代の”道”の講演が今年1月、市川中央公民館でありました、市川博物館の人の研究発表だったと思います。そこで、縄文時代の低湿地遺跡の機能として、@石器製作、A食品加工(水による晒し)が挙げられ、木道の構造が紹介されました。千葉市と違い、神奈川県の川には多種の石が多くあると思います。@/Aの機能はないでしょうか。低湿地遺跡の調査に期待します。木製/繊維製遺物も出土するかもしれません。
「湧水がある」という情報は貴重と思います。人間は、よほどの清流でなければ川の水は呑みません。湧き水の方が安全な水であるという知恵が培われています。縄文人の知恵と考えています。小輩が縄文遺跡の湧き水について考えさせられたのは、井戸尻遺跡です。小輩が中2の時に読んだ縄文時代に関する本です。もしかすると、藤森氏の著作かもしれません。千葉市の貝塚町貝塚群の谷戸に小川はありますが、この地では川の水を飲用に使用することは考えません。加曾利貝塚博物館学芸員の方から、坂月川は水運/作業用に使われ、飲用には湧き水が使われたとして、「10年前は節の内部をくりぬいた竹筒を台地と支谷の接続部に突き刺すと湧き水が出てきた」等という話が出てきます。園生貝塚研究会の人間も湧き水を縄文人の生活の重要な因子と捉えています(園生研究会のHPの何処かに書かれています)。千葉市の縄文人は、下総台地から、比高差10〜20mの支谷に降りて、飲用水を入手したようです。子供の仕事だったのでしょうか。
雑談になりますが、東京には大きな洪積世の扇状地があります。その先端には今でも湧き水があります。石神井/善福寺/井の頭の池がそれです。現在は飲用に使用されておらず、都民の憩いの場となっています。ただ、これらの池から流れている川の周辺には”浮き水”と呼ばれる地下水があり、約10mの浅井戸を掘ることにより、都民が飲用に使用しています。
[31] Re[30]: 伊勢原ってどういうところですか 投稿者:管理人 投稿日:2000/06/09(Fri) 21:28痩せたい縄文人さん。
> 台地上の遺跡と平地の遺跡は、性格や時代の違いがあるのでしょうか?
伊勢原の縄文の場合、低地の遺跡は小さな遺跡でその正体はほとんどわかっていません。
> 扇端には湧水があり…縄文人のための水源となったと想像しますが、どうでしょうか?
扇端部にはいくつか湧水がありますが、周辺で縄文遺跡は特に見つかっておりません。
> 「イセハラ」は「いしはら」が転化したものではないでしょうか?
もともと「伊勢原」は市のほぼ中心部(大山山麓の扇状地延長線上の台地)の地名で、元和年間に伊勢の商人が開いたと伝えられています。それ以前には見られません。
http://www.jomongaku.net/
[30] 伊勢原ってどういうところですか 投稿者:痩せたい縄文人 投稿日:2000/06/07(Wed) 00:46「痩せたい縄文人」です。私は、素人ですが、遺跡と地勢の関係に興味があります。ホームページを見させていただき、幾つか分らないことがあります。伊勢原に行くことがないので、できたら教えてください。
伊勢原の縄文遺跡のページに、伊勢原市の地図が載っています。この地図を見ると、大山山系の山地が伊勢原市の西にあり、谷地形がこの山地にあり、中央部に、扇状地のような緩やかな等高線の弧が見られます。山地は、台地状の地形で中央部の平地に接しており、”台地”の端に遺跡が多く見られます。台地上の遺跡と平地の遺跡は、性格や時代の違いがあるのでしょうか?
中央の平地が扇状地だとすると、扇端には湧水があり、場合によったら、池や沼のようになっていて、縄文人のための水源となったと想像しますが、どうでしょうか?
また、西方に山地を有する地形は、台風が真北に北上するようなコースをとる場合、山地に豪雨が降り、所謂鉄砲水が発生する可能性があります。相模地方を直撃する台風は、百年に数個と思いますが、鉄砲水が発生した場合、扇状地には大小の石が散乱すると想像します。「イセハラ」は「いしはら」が転化したものではないでしょうか?
[29] 「考古学」のありかた 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/06/04(Sun) 07:52貴殿は、『[27] 考古学の性格について』で「>>理化学的分析は理化学的分析であり、考古学には考古学の方法があります。>この考えは間違えています。」について、「私は解釈の問題だと思います。」と書いています。確かに考え方の違いです。「>この考えは間違えています。」は小輩の考えです。理化学的分析により客観的なデータを出し、古代(有史以前だけでなく歴史全般に言えるかもしれませんが)の文明・文化を解明しようとする動きは、考古学学者主導で行なわれることもありますが、他分野の学者が研究対象にしている場合があります。「イネの伝播経路」は農学部(静岡大学)です。この研究は、国立歴史民俗博物館との communication のもとに行なわれているようです。確かに、他の分野で出されたデータを活用して、異なった切り口から歴史を述べることは進めなければなりません。考古学者はスーパーマンではないので、広過ぎる分野の研究を手がけることはできません。しかし、新しい考古学者には新しい手法を用いる考古学を、主体性を持って手がけて欲しいのです。
小輩が、「蛍光X線分析やEDX分析は簡単にできる」と『[21] 200kmの長旅をした石』に書きましたが、コストの問題は書きませんでした。蛍光X線分析装置は高いもので1千万(どれまで原子番号の小さい原子まで測定できるかによります)します。EDXは電子顕微鏡のオプションなので、電子顕微鏡購入は1千万から2千万かかります。このような装置を公的1研究機関で設置するには、政治的判断と、住民の consensus が必要です。小輩の千葉市に対する要求は難しい点があります。しかし、大学のような研究機関では、他学部/他学科にも装置の使用の門戸を開放しています。このような機関の内部の人間が使用すれば、コストは低減できます。
小輩は大学の時、他学部・他学科の単位を取りました。大学1年の時は文学部に行って、ラテン語を学びました。文学部の人間の語学力に舌を巻きました。2年から3年になる時の春休みには、教科書に炭化水素の異性体の数が載っていたので、その授業をしてくれた先生からIDを借りて、0からプログラムを作りました。大学3年の時は、コンピュータを使わせてくれる授業を選び、他学科に行って単位を取りました。大学4年の時は、卒論研究を行なう傍ら、指導教官の許可を得て、他研究室の学生・先生(助手以上)付属他研究所の先生や他大学の先生と分子軌道法について話しました(夏休みはありませんでしたが、楽しい思い出でした)。20年数年前の話です。大学に在籍をしているという位置のエネルギーを存分に活用すべきです。
「解釈の違い」として他人の意見をデスクトップにあるごみ箱に捨てるのではなく、心に留めて欲しいと考えます。
P.S.)本日(2000/6/4)は8:00から、貝塚町町内会のゴミ拾いがあります。地域の情報をよく知っている人もいます。しゃべりたがらない人もいます。小輩にとっては、ゴミ拾いの日ではなく、貝塚町に関する情報を集める日です(何でもプラス方向で考えています)。殿山貝塚(荒屋敷谷地)の下水工事による破壊、谷津上遺跡の某業者による違法破壊について婉曲に(直截的に話題にすると話してくれません)聞きます。
[28] Re[27]: 考古学の性格について 投稿者:管理人 投稿日:2000/06/03(Sat) 23:51[27]で「最前線で努力している人もいるにもかかわらず十把一絡げに非難するような発言」と書きましたが、
[26]に「陋習として考古学に残存した(過去形です)」とあるので、この部分は取り消します。http://www.jomongaku.net/
[27] 考古学の性格について 投稿者:管理人 投稿日:2000/06/03(Sat) 23:42 ワイワイグッチ氏の書き込み中、最前線で努力している人もいるにもかかわらず十把一絡げに非難するような発言があったので、反論のようなものを書きました。
しかし、述べられている問題点は基本的には私も同感です。
ただ、「考古学」というものに対する考えは異なるようなので私の考えを述べておきます。
>縄文学者⊂考古学者であることは事立てて言うようなものではありません。
そういう意味ではありません。
私は当サイトの内に「縄文学への招待」ページがあり、そこで私が言う「縄文学」について定義しています。先に使った縄文学者というのは「関係諸学問を総合して縄文文化の実態を明らかにしようとする」学者というほどの意味です。
>>理化学的分析は理化学的分析であり、考古学には考古学の方法があります。
>この考えは間違えています。小輩は前報でこの点について記しました。
間違いでしょうか?。私は解釈の問題だと思います。
学問が細分化したのは、その方法が異なるからでしょう。人類の生活を研究する場合でも、文献史学・民俗学・文化人類学・言語学・形質人類学・生物学・物理学・地理学・建築学など、さまざまなアプローチ方法があり、私は考古学はその1つにしか過ぎないのではないかと思っています。
総合科学(縄文を対象とした場合なら前述した「縄文学」)としての考古学という場合もありますが、私は型式学、層位学、或いは調査での所見(出土状況など)、類例の比較などの科学的方法(=前回書いた「考古学の方法」)で遺跡・遺構・遺物を分析する学問を考古学と考えています。
もちろん、他の学問を無視して、研究成果だけをつき合わせるよりは、研究を進める各段階での連携は大切です。
イネの場合も、DNAだけでなく植生分布、土器石器といった考古学的所見、習俗といった文化人類学的所見、言語学など様々な研究を総合して結論を出すべきだと思います。
そして、その場合、総合するのはそれぞれの学問をよく知った方であれば別に考古学者でなくても構わないと思うのですが、どうでしょうか。http://www.jomongaku.net/
[26] 【なぜ山内清男は放射線炭素年代法による年代を認めなかったのか?】に対する返答 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/06/03(Sat) 21:20下記 『 [24] Re[23]: 長旅をした石 投稿者: 管理人 投稿日:2000/06/02(Fri) 09:09 』 に関して今回は paragraph【なぜ山内清男は放射線炭素年代法による年代を認めなかったのか?】に返答します。
>理化学的分析は理化学的分析であり、考古学には考古学の方法があります。
この考えは間違えています。小輩は前報でこの点について記しました。”理化学的”分析結果を利用する考古学を行なうべきです。この点、この文章が誤りであることは、貴殿がこの paragraph の最終節で感情的な文章で認めています。認めていると共に、貴殿の concept が1つの paragraph の中で自己矛盾していることを明示しています。もしかしたら、「考古学があります」という真実を記述する現在形ではなく、「考古学がありました」の誤記でしょうか。山内清男氏が研究していた当時の状況を述べたのでしょうか。
>山内清男は考古学の方法を確立した一人です。
>そして、彼は考古学者として考古学の方法で結論を導いたのです。
この点を小輩は否定していません。従って、巨匠という単語を使用しています。小輩が記述したのは、素晴らしい研究を集大成した巨匠が、なぜ、次世代の研究方法に対する進取な研究方針をとらなかったかという点です。巨匠がそのような方針であったから、まさに貴殿がだい1文節に記述した「理化学的分析は理化学的分析であり、考古学には考古学の方法がある」といった研究方法が陋習として考古学に残存した(過去形です)のではないかと考えたのです。現在は、「理化学的」分析方法が行なわれています。しかし、予算がないという言葉のもとに、「考古学の方法」が活用されています。東寺山貝塚の説明板にあるように、「表面散布の土器などによって、今から約5000年〜3500年前の縄文時代中・後期に属すると思われます。」という表現に活用されているのが現われるし、鏃の黒曜石の産地を推定するのに活用されているのです。
>現在では否定されているとはいえ、当時、別の方法で得られたものを
>そのまま流用したらどうなったでしょうか。
”否定されている”のは何でしょう。前後に「別の方法」の説明がありません。
>理化学的分析は前提や解釈の段階では絶対的なものではありません
>(放射線炭素年代法とて、当時と今日ではその正確さも大きく変わって
>きています)。
小輩は山内清男氏が全ての理化学分析を否定したとは何処にも記述していません。C14法を否定したと記述しています。従って、貴殿が、C14法と理化学分析を合同(≡ : 同意義語)と考えて記述しているのであれば、数十年後の結果を見て、数十年前は精度が低かったため利用することを拒んだと言うことはおかしい。 考古学者は、科学者であるべきと考えます。 新しい concept を打ち立て、先人を否定することから、科学は始まります。 科学者は旧守派であってはなりません。
>縄文を研究する考古学者といえども、縄文学者である前に考古学者で
>あるべきです。
この部分は小輩の関心があるのが縄文時代なので、”縄文学者”という単語を使っただけです。縄文学者⊂考古学者であることは事立てて言うようなものではありません。
>数十年を経た現在、考古学は理化学的分析を積極的に活用し、
>大きな成果を挙げているのは今更言う必要は無いでしょう。
このparagraph の第1文節に関して述べたように、論旨が統一されていません。論理的でなく、自己撞着を起こしている感情的文節と考えられます。
本日は、午後、青山学院大学で「発掘された中世古道」の研究集会を聞かせてもらいました。メルクマークの選択と道筋の推定が述べられていました。少し参考になりました。 何でも聞いてみよう。
[25] 山内清男氏の考古学及び埋蔵文化財行政 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/06/03(Sat) 01:411.<氏は最前線の研究をどこまでご存知なのでしょうか?>
小輩は、考古学の最前線の研究が何処まで進んでいるか知りません。考古学を学んだことはありません。土曜日曜の趣味です。小輩のHPの英語部分には、「学術的なものではない」と記述し続けてきました(考古学の technical term が判らなかったので、めちゃくちゃな英文ですが;5/21、考古学総会に車で行き、雑誌(文献)を買い込んだので、読めば英文がマシになるであろう)。
2.<一般化されるまでの期間>
知りません。しかし、貴殿の議論は、首題から乖離し、枝葉末端に向っています。話題を首題から、小輩の記述の関連部分に矛先を向け、論点をぼかしています。貴殿は、下記文章を書く時に、テーマは「長旅をした石」にあり、その出典が「広辞苑」であることを念頭に置いているでしょうか。議論の矛先の方向を変えるのであれば、題名を変えるべきです。「長旅をした石」ではなく、「山内清男の考古学及び埋蔵文化財行政」との題名にすべきです。 シロウトの記述に対する感情的な文章が記されています(返信ボタンをクリックしているから首題がボケる?)。
3.<山内清男氏の考古学について>
「山内清男は土器編年研究体系を創造した」と前報に記しましたが、「体系を集大成した」の方がよいと思います。小輩は、出土する土器の型式を判別することにより、遺跡が作られた時代が推定できる というか 殆ど決定できるのは、素晴らしいことと考えます。しかし、決定される時代は、相対的なものです。絶対年代に変換するには、大きな仮定が必要です。絶対的年代を決定するには、C14法のような方法が必要です。小輩は、山内清男氏がなぜC14法を拒んだか、はっきり判りません。当時のC14法によって出される年代が、山内清男氏の持つ史観と異なっていたからかもしれません。C14法には幾つかの仮定があります。初期のC14法の仮定が不合理であると山内氏は考えたのかもしれません。その分析結果を鵜呑みに信じてはならないと考えたのかもしれません(この点、小輩のHPにC14法に関する Note がありますので、小輩のC14法に対する考え方を見てください。C14法は、高温の恒星で行なわれている核融合;CNサイクルと同様な核物理反応です)。C14法の仮定に誤りがあることが、後世に判明し、修正が加えられたことは貴殿の記するとおりです。
山内清男氏がC14法を拒んだことに対して、小輩は、進取的でないと考えるのです。考古学的方法と理化学的分析は別なものと貴殿は記述しておりますが、小輩は、考古学は研究に分析を取り入れるべきと考えています。別なものとは考えません。考古学は、ただ古(いにしえ)を考えるだけの学問であってはなりません。古代科学でなければなりません。2000/6/1、NHKのニュースでイネの日本への伝播経路が、従来、朝鮮半島経路と考えられていたものが、沖縄列島を経由した南方経路のものもあることが、報道されました。この事実を解明したのは、静岡大学農学部・佐藤洋一郎助教授。遺跡から出土したイネのDNAを分析することによって、判明したものです。いつの時代の、何処の遺跡のイネを分析したか、聞き逃しました。南方ジャポニカ種のDNAを有するイネは、弥生/平安時代に見つかっている(「DNA考古学」佐藤洋一郎著、東洋書店発行)はずですので、なにか新しいことが判ったと思うのですが、判りません。 1999/8/8、NHKスペシャルで、人骨のミトコンドリアDNAを分析することによって、縄文人のDNA配列はアイヌ人のDNA配列と最も近似していることを示し、日本人のルーツを一般の人に明示する画期的な番組を流しました。
小輩は千葉市に、縄文時代の遺跡が最も多くある大都市として、単なる博物館を有するだけではなく、研究所を設立すべきだと提案しています(一小市民の提案としてですが)。各種分析を行ない、古代を科学的に研究する・・そんな文化都市になって欲しいと思います。
4.埋蔵文化財行政と遺跡の保存
多くの遺跡が存在する場所に住んでいる者には、あたかも4チャンネルステレオで超音波や超低周波が含まれているCDを聞くが如くに、住民から、業者から、研究者からいろいろな話を聞きます。増幅回路を通って耳に入る情報もあると思います。これは他人に言えないなと思うものも幾つかあります。貴殿もいろいろな人と遺跡を廻ったり、住民(や業者;これは無理か)と話したほうがいいですよ。
BBS上で議論をしたいとのことなので、こんな返答になりました。
mail だと、30KB位の text file が飛び交うことになるであろう。
それでは。http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI
[24] Re[23]: 長旅をした石 投稿者:管理人 投稿日:2000/06/02(Fri) 09:09下の書き込みについていくつか、私なりの考えを述べておきたいと思います。
氏は最前線の研究をどこまでご存知なのでしょうか?
また、それらが学界内で一定の理解を得て単行本や展示などで一般化されるまでの期間は考慮されているのでしょうか?
このようなことを考慮せず、僅かな事例だけで、考古学や埋文行政一般に対する誤解を生むような部分を含む問題のある文章だと思います。なお、ここでは特定地域については問題にしません。
【なぜ山内清男は放射線炭素年代法による年代を認めなかったのか?】
理化学的分析は理化学的分析であり、考古学には考古学の方法があります。山内清男は考古学の方法を確立した一人です。
そして、彼は考古学者として考古学の方法で結論を導いたのです。現在では否定されているとはいえ、当時、別の方法で得られたものをそのまま流用したらどうなったでしょうか。
理化学的分析は前提や解釈の段階では絶対的なものではありません(放射線炭素年代法とて、当時と今日ではその正確さも大きく変わってきています)。縄文を研究する考古学者といえども、縄文学者である前に考古学者であるべきです。
数十年を経た現在、考古学は理化学的分析を積極的に活用し、大きな成果を挙げているのは今更言う必要は無いでしょう。
【埋蔵文化財行政と遺跡の保存】
まず、発掘は破壊に他ならないものという大前提があります。調査技術は日々進歩しています。また、研究とはさまざまな視点から行うべきですが、調査や報告は現時点での一定の見方によって行われており、別の見方が出てきた時には使えない場合もありえます。
一方、報告書すら発行できないような頻度で、開発事業に「伴って」毎年多量の遺跡が「処理」されていること、その結果膨大な資料が堆積し、消化しきれていないというのが現状です。まして、「重要でない出土品」が廃棄可能となった今求められているのは、現在ある資料を研究し、それぞれの出土品の持つ意味を明らかにすることではないでしょうか。
説明板があるということは当面破壊される可能性は無いということでしょう。あえて破壊せず、自然環境とともに未来へ残すことを考えてもいいと思います。表面採集など地表面からの調査も遺跡の性格を探る上で立派な調査です。
もちろん、何もしないで残すというのでは住民の理解を得るのは難しいでしょう。
私は遺跡は地域の財産であり、かつ人類全体での財産であると考えています。
既に、埋文行政には地域によって大きな差があります。開発側の資金能力で調査の質が変わると言う問題点もあります。単なる遺跡処理になっている場合もあるでしょう。これらは是正されるべきです。
しかし、村おこし的な調査を一概に批判すべきではありません。その場合の調査はいわゆる学術調査という形で行われると思われます。三内丸山のように誇張したイメージが一般化するのは問題だと思います。しかし、きちんとした調査・研究が行われ、その地域の発展に貢献するのはむしろ好ましいものではないでしょうか。
また、開発の事前調査とはいえ、少しでも学問的な意義をもたせようと努力している担当者はたくさんいます。
現在の埋文行政に様々な問題があることは事実ですが、最近になって埋文行政のあり方について活発に議論されるようになってきました。調査の効率化など実務的な話題もありますが、今後の方針として「活用」を重視すべきだという意見も多数あります。調査・研究の成果を積極的に活用し、遺跡の大切さを多くの人に知ってもらうこと、そのための十分な予算を確保することが必要だと思います。
当初は別ページとしましたが、やはりBBSでの議論としたいと思います。http://www.jomongaku.net/
[23] 長旅をした石 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/05/29(Mon) 23:38小満の候、緑が萌える中、麦類は収穫の秋を迎えようとしています。北海道・美瑛のような素晴らしい風景ではありませんが、千葉市にも雑草として取扱われる麦類が実をつけています。縄文時代には大切だった植物が、雑草と言われる植物の中にあるかと思い、写真を撮っています。
「☆200kmの長旅をした石」に関して、調べ、考えるうちに、縄文学における幾つかの問題点にぶち当たりました。
加曾利貝塚の発掘調査報告書に「黒曜石の産地は長野県・和田峠と考えられていたが、伊豆箱根もしくは神津島産と考えざるを得ない。」との新井重三氏(学芸員?)の文章がありました。このような見解が出ているにもかかわらず、博物館の展示には和田峠の地名が遺跡の如く残存しています(鏃の隣りに置いてある黒曜石の原石は、20世紀後半に確かに和田峠で採掘したものですが・・・)。
また、分析結果による結論ではなく、専門家による外見の鑑定による結論なのです。小輩は、縄文学の体質のまさに古さを強烈に感じました。縄文学で土器編年研究体系を創造した巨匠の悪影響が、こんな所にも引き継がれていると感じました。巨匠は、研究体型の崩壊を恐れ、C14による出土土器の年代決定を否定しました。つまり、分析機器による客観的な年代決定を拒みました。
文化財保護法が2000/4に改正されましたが、縄文学の activity が低下するのではないかと懸念します。国家的な project であれば、scientific/systematic な研究が行なえますが、地方に分権されては、「村おこし」的な地方の表面的な活性化はやりやすくなるかもしれませんが、画期的な研究を行なう際に障害ができないか心配です。縄文学の地方行政間の連携を可能にしなければなりません(非常に難)。
「文化財保護法」はこんなものかと考えさせられることに遭遇することがあります。例えば、4/29、東寺山貝塚に行った際、教育委員会が立てた説明板に次の一節がありました。「この遺跡は、未だ本格的な発掘調査が行なわれていないので、その性格や内容はほとんど不明ですが、表面散布の土器などによって、今から約5000年〜3500年前の縄文時代中・後期に属すると思われます。」この文章は、文化財を保護しており、調査は行なっていないということを意味しています。遺跡を破壊することは罪であるとされながら、調査されることが非常に少ないのです。千葉市には多くの遺跡があります。しかし、学術調査されることはほとんどありません。破壊直前に高速度で行なわれる行政発掘がほとんどです。遺跡は調査されて始めて価値があると考えるのですが・・・。
BBSの中で、軽石の如く浮いている掲載はここら辺でやめます。
それでは。http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI
[22] Re[21]: 200kmの長旅をした石 投稿者:管理人 投稿日:2000/05/28(Sun) 21:49 今の私には加曽利貝塚の黒曜石の産出地がどこかは分かりませんので、その点についてはなんとも申し上げようもありません。
千葉商工会議所のページにリンクを張っている「縄文遺跡を扱ったページの紹介」は、考古学専門サイト以外で、あるサイトの一部分で縄文遺跡を紹介しているページを紹介しようというものです。
それらの多くは専門外の方のページですが、興味を持って取り上げてくれるのは私としてはいい傾向だと思います。
ただ、内容まではチェックしていません。する必要も無いと思っていたからです。インターネット上に限らず、考古学的なモノを学問から離れたところで解釈する方は数多くいらっしゃいます。私は、それはそれでいいのではないかと考えていました。
ただ、このサイトも予想外に多くの方に見ていただけるようになった以上それなりの責任もあるのかな、と思います。
この件については、もうしばらく考えさせていただきたいと思います。http://jomongaku.virtualave.net
[21] 200kmの長旅をした石 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/05/28(Sun) 06:54貴HPのWeb site guide に
☆200kmの長旅をした石〜貝塚の黒耀石〜千葉商工会議所青年部)
なるHPが紹介されています。題目は問題ないのですが、黒曜石原産地を「広辞苑」に記述されているとして、長野県・和田峠としています。小輩は、加曾利貝塚の調査報告書を見たことはありませんが、荒屋敷貝塚(行政)発掘報告書には、出土した黒曜石の原産地は伊豆七島・神津島及び箱根と書かれています。確か、加曾利貝塚出土品も同様です。黒曜石は蛍光X線分析か、EDX分析で(遷移金属)原子組成を出すことにより、原産地が判明するはずです。(簡単な分析です)
驚くべきことは、伊豆七島の黒曜石を使っていることです。縄文人には、八丈島まで航海する技術がありました。
お役所(この場合は若干違いますが)が科学的でない記述を掲載するこによって、背景を何も知らない人が信じ込んでしまうことがあります。お役所が言うことは正しいんだと思う傾向が、庶民にあります。恐ろしいことです。科学が教えてくれる真実は1つです。小輩は、この記述を搭載した所に、抗議文を手紙で送付します。(このHPを隅から隅まで見ましたが、mail address が記されていません。かろうじて、入会募集のページに住所がありました。)なんともはや。悲しいことです。
それでは。http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI
[20] 算額 投稿者:ワイワイグッチ 投稿日:2000/05/27(Sat) 06:24小満の候、緑が強烈な陽光に映えています。
「千葉市の遺跡を歩く会」の打ち合わせに、縄文人も出て欲しいとの話があり、4月中旬に集まりました。その中で、小輩が教育論をぶちまけ、『「算額」が近代日本の発展の基礎になった』と言ったところ、メンバーの1人が千葉市の文化に関する資料を出してくれました。なんと、千葉市で唯一の「算額」が貝塚町貝塚群南端の舌状台地にある延命寺にあることが判りました。縄文時代とは違いますが、HPに掲載したところ、奈良の数学史研究者から問合せがあり、記述されている内容の解析がネット上で進み、6/4の数学史学会で研究者が発表することになりました。青い鳥はすぐ近くにいました。きっかけは思いがけないところにあります。ニュアンスは違いますが、『至る所に青山あり』です。
それでは。http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI
[19] 芸大美術館 投稿者:山内利秋 投稿日:2000/05/06(Sat) 17:19芸大構内は美術館敷地を含め、僕がかつて発掘調査した所
です。今度文化財保存学のいくつかの研究室を含め、ゆっ
くり案内してあげましょう。
あと図書館は紹介状なしで勝手に進入してはだめです。
>中村君
[18] 米森さんへ 投稿者:管理人 投稿日:2000/05/01(Mon) 22:33はじめまして。
書き込みどうもありがとうございます。
島根大学考古学研究室のページも拝見しました。
これからもよろしくお願いいたします。
[17] はじめまして。 投稿者:米森恭子 投稿日:2000/05/01(Mon) 21:22はじめまして。島根大学の学生の米森といいます。
現在三回生です。縄文時代を専攻したいと思っています。
なんか、このHPを見て、すごく充実しているし、勉強されてるな
と思ってびっくりしました。
また、うちの大学のページものぞいてみてください。
今週末には、噂の出雲大社の現説にいく予定です。
ちょくちょくお邪魔させていただくと思うので、
よろしくお願いします。
[16] Re[15]: HPつくってみました 投稿者:管理人 投稿日:2000/04/26(Wed) 10:31> はじめまして。izumikoと申します。
はじめまして。
> 発掘調査関係の仲間が集まって、HPを作りました。
独自のメニューで、なかなか面白いページだと思います。
今後ともよろしくおねがいします。
[15] HPつくってみました 投稿者:izumiko 投稿日:2000/04/22(Sat) 14:24はじめまして。izumikoと申します。
発掘調査関係の仲間が集まって、HPを作りました。
埋文報告書のリサイクルや考古学アイコンもあります。
興味のある方はのぞいてみてください。
http://www.geocities.com/RainForest/Jungle/3759/book1.html
http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/2040/
[14] 小林教授の授業 投稿者:山内利秋 投稿日:2000/04/17(Mon) 11:27小林先生の授業(演習U・V)はUとVで内容はかなり違います。
Uはかつては「考古学実習」と呼ばれていましたが、はっきり
いってとても辛いです。僕の頃は長野県柳又遺跡でした。今は
北海道のピリカの調査と整理作業ですが、おそらく3年だけで
は終わらないで、4年生まで引きずると思います。きっとその
時、助手に鍛えられることでしょう(笑)。
4年の演習Vは"Shell Mounds of Omori"の購読です。
よく知られた基本文献として、佐原真・近藤義郎訳の岩波文庫
版『大森貝塚』があります。近代日本の発掘調査報告書のモチ
ーフともなった本です。ついでに同じくエドワード・モースの
『日本人の住まい』とかを読んで比較すると、モースの考え方
がよくわかります。
卒論までは「あと4年」と考えるよりも、「すぐ4年」と考え
た方がいいです。大学生活などほんとうにあっというまですの
で、テーマはなるべくはやく考えたほうがいいよ。
[13] 合格おめでとうございます。 投稿者:山内利秋 投稿日:2000/03/22(Wed) 11:56合格おめでとうございます。
うちの大学に来られるのですか?
歓迎しています。
[12] 合格おめでとうございます。 投稿者:光坊 高知の縄文探訪 投稿日:2000/02/21(Mon) 23:50合格おめでとうございます。
これから縄文三昧ですね。
HPの活躍も今後楽しみにしております。http://www2.inforyoma.or.jp/~mitsubo/
[11] 下谷戸遺跡が語る三ノ宮のむかし 投稿者:管理人 投稿日:2000/02/06(Sun) 01:48第13回 考古資料展「下谷戸遺跡が語る三ノ宮のむかし」
伊勢原市教育委員会が毎年行っているミニ考古展。今回はかながわ考古学財団の協力で、同財団が調査した下谷戸遺跡の資料が展示されるそうです。
東名建設時には環状列石・大型敷石住居が出土したものの資料は未だに整理されいない下谷戸遺跡の外側を東名拡幅に先立ち調査したものです。
縄文草創期、後期の敷石住居、古墳、など県内でも有数の資料だそうです。
私はまだどんなものか見ていませんが、近いうちにお知らせできると思います。
展示自体は公民館の1室を使った小さなものだと思いますが、近くで、興味のある方は足を運んでみて下さい。
2月18日(金)〜20日(日) 9:00〜16:30(最終日は16:00まで)
伊勢原市立中央公民館 3階会議室B
(小田急小田原線伊勢原駅下車 北口から徒歩10分)
[10] 謹賀新年 投稿者:光坊 高知の縄文探訪 投稿日:2000/01/02(Sun) 17:00新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。
[9] おしらせ 投稿者:管理人 投稿日:1999/12/09(Thu) 10:10「ここ数日、サーバーの調子がおかしい」
と、思っていたのですが、どうも我が家からだけみたいです。
今は他の場所から書き込みしています。
変なの...
[8] 展示会およびフォーラムのお知らせ 投稿者:東海大学校地内遺跡調査団 投稿日:1999/11/19(Fri) 22:11私共、東海大学校地内遺跡調査団では、下記展示会および関連のフォーラムをこの12月に企画しております。お時間があれば、是非、足をお運び下さい。
展示会
東海大学校地内遺跡調査団創設10周年 第10回 足もとに眠る歴史
「相 模 国 の は じ ま り−相模地方の豪族と相模国の成立−」
相模地方は相模国造・師長国造・鎌倉別といった在地首長が支配したとされています。本展示では、このような首長や豪族の様相を関連する出土遺物から概観していくこととします。また同時に、ヤマト政権の本格的な進出によって、在地首長を中心とする地方支配が、どのように変化していくかということにも触れていき、律令体制の東国への波及の一端をかいま見たいと思います。
会期:1999年12月9日(木)〜12月27日(月)、2000年1月7日(金)〜1月22日(土)
年末年始・日曜日を除く 9:30〜17:00 入場無料
会場:東海大学湘南校舎図書館展示室(11号館)
神奈川県平塚市北金目1117
最寄り駅:小田急小田原線「東海大学前」徒歩15分
東海大学校地内遺跡調査団10周年記念フォーラム
「相模国の成立と地域社会」
日時/1999年12月11日 9:30開場・10:00開会〜17:00
会場/東海大学湘南校舎11号館206教室
記念講演/吉岡康暢(国立歴史民俗博物館教授)
「東国の首長・村民と飛鳥の王権」
パネリスト/
文献から見たヤマトと相模 荒井秀規(藤沢市教育委員会)
古墳から寺院へ 明石 新(平塚市博物館)
律令制成立期前後の集落様相 −相模の場合− 大上周三(かながわ考古学財団)
三浦半島と相模 中三川昇(横須賀市教育委員会)
遺物から見た「相模」の形成 田尾誠敏(東海大学校地内遺跡調査団)
*整理の関係上、参加希望者は葉書またはEメールでお申し込み下さい。
先着200名、申し込み締め切り 1999年11月末日
記入要項:氏名・住所・電話番号・懇親会(17:45〜、5,000円)への出欠
こちらから折返しの連絡がない場合、基本的にOKです。
問い合わせ先・申込先
東海大学校地内遺跡調査団
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目1117
TEL 0463-58-1211内線3105・3107
企画担当 田尾誠敏
chika@keyaki.cc.u-tokai.ac.jp
※書き込みができなかったということで、この情報はメールで頂きました(管理人)
[7] (無題) 投稿者:あすか 投稿日:1999/11/15(Mon) 13:23昨日、NHKの「課外授業ようこそ先輩」(再放送)シリーズで
「縄文人に学ぶ知恵・考古学者・岡村道雄」を放送していました。内容は、縄文人の生活を体験したり、表採をしたり…。
見ましたか?
[6] 飛鳥池遺跡を保存しよう! 投稿者:管理人 投稿日:1999/11/14(Sun) 01:03飛鳥の工房を保存しよう。
ネット上での署名ページへリンクを張りました。
ぜひ一度いってみて下さい。http://osaka.cool.ne.jp/masah/
[5] 面白いですね 投稿者:管理人 投稿日:1999/10/29(Fri) 00:29 Furuさんの「キウス4と三内丸山、寺野東遺跡における遺跡空間構造の類似性について」拝見しました。
縄文尺を用いて集落遺跡の空間分析できる本当に面白いですね。
※Furuさんの書き込みを修正し、URLを[4]の中に入れました
[4] ごあんない 投稿者:Furu 投稿日:1999/10/27(Wed) 14:50「生活面」のFuruです。リンクありがとうございます。
「太陽と山と縄文人」を興味深く読ませていただきました。
その関連で、ページにちょっと手を入れましたので、覗いてみて下さい。
結構面白いことになってきました。
HPと関連ページ直通のアドレスです。
http://www.infoaomori.ne.jp/~furu3/index.html
http://www.infoaomori.ne.jp/~furu3/note.html
[3] というわけで 投稿者:yusuke 投稿日:1999/10/21(Thu) 21:07「speculation」移転完了しました!
お時間出来ましたらリンクの変更をお願いします。
今度はバナーの方も直リンクで使用出来ますので、よろしければどうぞ。
以上、移転の報告でした。
これからもよろしくお願いします。
追伸:
お褒めのお言葉ありがとうございます(^^
>ここなんかよりずっと高校生らしいサイト
全然高校生っぽくないですよぅ(^^;http://speculation.virtualave.net/
[2] Re[1]: お久しぶりです 投稿者:管理人 投稿日:1999/10/18(Mon) 00:08yusuke君 書き込みありがとう。
なかなか更新できないんですが、リンクは修正しておきます。
yusuke君は学校の友達で、縄文学研究室をはじめたのも、新サイトに移ったのも彼に示唆されたお陰です。ここなんかよりずっと高校生らしいサイトです。皆さんも一度覗いてみてはいかが?
[1] お久しぶりです 投稿者:yusuke 投稿日:1999/10/16(Sat) 00:22こんにちは。
僕がカキコ1号のようで、恐縮であります。
移転作業お疲れさまでした。
僕のページ(新サイト)はリンク修正完了しましたので、
報告させていただきます。
まだ僕のサイトは工事中なので、移転完了後にまた連絡したいと思います。
Neueへのリンクもよろしければ修正お願い致します。
それでは、これからもガシガシ頑張っていきましょう(^^http://speculation.virtualave.net/
掲示板へ戻る